「KinKi Kids Party!~ありがとう20年~」に行ってきた&剛さんの体調回復を願う

もう3週間前になるが、7月16日、「KinKi Kids Party!~ありがとう20年~」に参加した。

その日は朝9時20分から新宿で「銀魂」を見て、ひと笑いした後、横浜へ。東急渋谷駅から横浜駅までの往復乗車と、横浜高速鉄道みなとみらい線の1日乗り降り自由がセットになった「みなとみらいチケット」を購入。少し、交通費を安くしてまずはランチをするため中華街へ。その日は花火もあったので、中華街はかなりの人手。並んでまでも食べることはしたくないので、脇道に入ったところで、こじんまりとした中華料理店に入った。1000円出さずして、杏仁豆腐付きのランチが食べられた。で、その後、衣装を見にパシフィコ横浜へ。グッズは前日に購入していたので、衣装を見ていない友達に付き合って、またじっくり衣装を観察した。

そんなことをしていたら、16時過ぎに。そろそろ会場に向かうべくまたみなとみらい線に乗った。本来、会場である横浜スタジアムハマスタ)はの最寄り駅は関内駅。しかしみなとみらい線で向かった私たちは、日本大通り駅で下車してハマスタを目指した。16時半近くなっていたため、会場の周りはファンで一杯。チケットや代行したグッズを手渡したりして、17時過ぎにようやく会場に入った。

アリーナ席 B10ブロック。ほぼ座席はセンター。双眼鏡を使うまでもない距離(表情など詳しく知るためには必要だが)のため、双眼鏡は一度も使わず。

立ち上がってもそんなに背の高い人もいなかったので、ストレスなくPartyを楽しむことができた。

16日のPartyは、もうすでにレポが上がっているとおり、ゲスト満載で事務所を上げてのお祝い感が強かった。光一さんも剛さんも、そしてそれを支えるバンドメンバー、スタッフの方たちも自分ができる限りの術で私たち参加者を楽しませてくれたと思う。楽しいながらもほろ苦さが残るPartyだった。

光一さんがやたら年末はとか新曲はいつか歌おうとか、作ってきた曲に詩をつけてという姿を見ていると、意外に光一さんの方が見えないモノを信じているタイプなのかという印象を持った。作曲にまた取り組んだのも、陽炎をどうやって二人で作ったのかということを熱心に聞いていたモノね。一人で作らなくても良いということがわかって、取り組むことができたのかな。よかったと思う。ちょっとポップな感じの曲だったので、堂島さんの要素が多分に入っていたかも。最後、旋律が2つに分かれるところも、陽炎からをヒントにしているような気がした。陽炎も2つに分かれるもんね。

でも剛さんは堂島さんとではなく、光一さんと一緒に音作りをしたいんだと思う。作詞作曲に分かれる合作ではなくて。剛さん視点で語ると、それができるようになるといいなと思う。

マスコミも入れなかったのは、やはり想定ではなかったこと、KinKi Kidsとしても見せたい20周年の姿ではなかったからだとと思う。光一さんも言っていたように、マスコミが入ると美談っぽくオチをつけられる可能性があるので。

 

今日はもう8月7日。先日のZEROでの状況、さらに昨日のラジオの様子を聞いても、そんなに左耳の聴力が回復している感じはなかった。ただ、音が頭に響く感じはなくなってきたといっていたけど。

事務所としては突発性難聴に対して知識がなかったわけではないと思う。今井翼さんがメニエール病で休んだとき、それ以前に何度か突発性難聴を繰り返していうことがWikipediaに書かれていたので。おそらく大きなニュースになっていなかったということは、すぐに治っていたのではと思う。そういった経験があったからこそ、最初、あまり深刻に捉えていなかったのではと思う。またドラマの撮影中というのも間が悪かった。嵐の相葉くんと松本くん、矢田亜希子さん、早見あかりさん、さらに一般の小原裕貴さんなど、いろんな人たちのスケジュールが絡んでくるので、できるならそのスケジュールを変えることなく進めたいと思うのは当たり前だ。実際、ぼくらの勇気 未満都市2017を見たが、剛さんの芝居に関して体調不良は感じられなかった。あまり聞こえなくても、演じられていたのもすごいと思う。そんな状態だと、周りも「大丈夫そうだ」と思ってしまったとしても責められない。

安静が最も必要なときに、ドラマ撮影や取材、レギュラーの仕事など、普段以上の仕事量をこなさなければならなかったのは、不運としか言いようがない。

だから回復するのもそれなりの時間がかかると思う。だけどいつまで休めば完治できるなんて、誰もわからない病気だ。だからこそ、完治しないと音楽ができないなんていう気の使い方はやめて欲しい。本人の気持ちや意欲に寄り添って、できる範囲で音楽の仕事もしてほしいと思う。音楽に救われてきた剛さんだからこそ、今回もまたきっと音楽で救わると思うからだ。

最善は完治だが、そんなに欲張ることはもうしない。日々、少しずつでいいので、回復を願うことにする。せめて左の聴力が70%ぐらいまで戻るといいな~。