「KinKi Kids Concert 20.2.21 ~Everything happens for a reason~」に参加した

年末、年始に東京・大阪両ドームで開催された「KinKi KidsKinKi Kids Concert 20.2.21~Everything happens for a reason~」の12/17、12/31、1/1公演に参加した。昨年から東京ドームが12月の半ば、年始が大阪ドームで開催されるので、年末年始、関西にある実家に帰省する私は両ドームに参加できるようになったのだ。

まずは東京ドームの2日目、12/17の公演について。前日の公演内容はチラチラとTwitterのタイムラインに流れてきたモノの、そんなにチェックする程ではなかったが、唯一、後半がかなり辛そうだったいうことを把握した。「もし出られなくなっても仕方ないかな」と思いつつ、開場時間になっても、そういうメールは来なかったので、「今日も大丈夫なんだ」という思いでいざ、東京ドームに。

堂本剛さんの歌唱復帰現場となったドリームフェスティバルにも参加したため、ご本人の「意外に歌えた」という言葉以上に、ヘッドホンを付けていなければわからないほどの歌声を聞かせてもらっていたので歌うことに対してそう不安はなかった。でもその時は2曲ごとにMCを挟んでいて、コンサートのように次々続けて歌うことはないし、なんといっても東京ドームは、箱が大きい。音量も当然大きくなる。反響もある。ずっと片耳で音を取って歌い続けるのは大変だろうなとすごく負担があるだろうなと思っていたので、今回も光一さんのソロコーナーがあればいいなと思っていた。が、剛さんのソロコーナーがあるとは思わなかった。もし剛さんのソロコーナーがなかったとしても、誰も文句は言わなかったように思う。まあ、ジャニーズ的というかKinKi Kidsスタッフ的に1人だけソロありでもう一人はなしという選択肢はないのかもしれないけど。

座席はスタンド1階の3塁側。かなりサイドからステージを観る感じ。オーケストラの荘厳な雰囲気の中でコンサートは粛々と始まった。セットリストなどはいろんな人が挙げていると思うので、割愛する。

ソロコーナーは光一さんはアンプを入れた通常のスタイル。私は一度しか光一さんソロコン(Spiral)に参加したことしかないので、3曲目の「愛の十字架 ~Promise 2U~」は初めてだったような気がする。そのソロコンに参加したとき勉強したのはアルバム「Spiral」だけだったので、実は暁もこのコンサートで2度目。なので途中、英語詩が出てきたとき、「えっ、次の曲に行ったの」と一瞬、思ったりした。2曲目のSHOCK!は他2曲よりやや激しい振り付けなので、ヘッドセットマイクを付けてのパフォーマンス。ただ、このマイクの性能がよろしくないのか、それまでのマイクより声がべたっとしているというのか(歌い出し部分。エフェクトかけていたらすみません)、立体的に聞こえなかったのと、その後、振り付けが激しい部分の歌声がかなりバックバンドにかき消されていたのが残念だった。あれだけの振り付けだとガチで歌うのは難しすぎるよね。今回のラインナップより、前回の方がよかったかな。光一さんはロックな曲をシャウト気味に歌うのが似合うと思っているので。

一方の剛さんソロは2曲で1曲は歌はなく、インストに合わせて心情を表したような踊り。コンテンポラリーダンスに近い感じ。踊るとは思っていなかったので、ビックリしたけど、「リズム感も損なわれていない」と安心した。2曲目の「これだけの日を跨いで来たのだから」。昨年のツアーでも歌わなかった自身のソロワーク曲を歌うとは、、これにも驚いた。歌い方はこれまで何度か聞いたときとまったく違うパフォーマンスだったと思う。だけど、フェイクも入っていたし、歌う事、音楽をすることを諦めることのない情熱を感じることができた。

夏のパーティで光一さんと堂島さんが「2番以降はららら」で披露した「Topaz Love」もフルで聞くことができた。やっぱりそのときも思ったが、堂島さん成分が多分に入っている楽曲だと思う。20周年、7年ぶりのKinKi Kids二人の共作にするのは、販促的な面から考えても理想的だし、編曲者が堂島さんなので問題もないということだろう。

とにかく座って堪能できる豪華なコンサートだったのは間違いない。全編オーケストラとは言うモノの、ソロコーナーが終わって以降は、そんなに通常のKinKi Kidsコンサートと変わらない音色だったような気がする。ただ、座席の位置もあり、わりと静かな曲だとディレイスピーカーからの音が右から聞こえるので、その2重感が少し残念だった。ラインアレイでは難しいのかな~? やっぱり左と右で聞こえる音がずれるのは多少、気持ち悪いなと思った。

一方、京セラドームで行われたカウントダウン公演はスタンド1階のセンター、1/1公演はアリーナC3ブロック。いずれも音が二重に聞こえることなく、快適だったように思う。カウントダウン公演はなんといっても、光一さんが絶好調というか、おそらく光一さんにとってゴールデンタイムだったこと、大阪という地元感あふれる場所だったからか、やたらはしゃいでいた印象だった。剛さんが雑誌で明かしていた「大きな子ども」という表現がぴったりハマっていたように思う。剛さんが記事で言っていた大きな子どもは、おそらくコンサートで感じた本当の「大きな子ども」ではないとは思うけど。何かモノを作るときは、「子ども」同様、多少強引なやり方で周りを巻き込んでいくことが大事になるからだ。そう言う意味で、光一さんが頭でっかちにならず大きな子どもになったからこそ、Topaz Loveは新曲として世に放たれることになったんだと思う。

カウントダウン公演、1/1公演では、剛さんソロ「これだけの日を跨いで来たのだから」は、東京ドームの感情そのままの荒削りな状態から、これまでのソロでのパフォーマンスに近い状態の歌い方に変わっていた。その進化にもびっくりした。一方の光一さんソロは損をしたなと思う。光一さんソロが先、剛さんソロが後という構成になったのは、耳のインターバルを考えてのことだそうだ。避難する時間のためと言っていたが、そういうことだろう。ショーアップされた光一さんソロは、やはりKinKiコンと性質が似ているので、それまでと変化を感じにくく、圧倒的な世界という感じがしない。一方の剛さんソロは、KinKiコンとは異なり、剛さん一人が強調された世界となっており、光一さんのショーアップされた世界とはまったくの異なる次元空間に入ったようになったからだ。おそらく剛さんを先にしていたら、光一さんのショーアップされた世界がもっと際立ったかもしれない。が、その後に続く、硝子の少年からの後半戦と違和感なく続いていくので、、確かにその構成も今一つかも。そう考えると、光一さん先で正解だったのか。

今回、1/1公演のKinKi KidsのMCでの不協和音で、またアンチ的な人がざわざわしているが、どっちもどっちだったような気がする。「ソロをしたいっていうから、いいですよといって~」と剛さんののんびり口調でいっていたが、剛さん的にはやはり、KinKiコンにソロはあまり入れたくないんだなという印象があった。でも光一さんも剛さんのために設けたコーナーなのに、ソロがしたい風に言われ納得がいかなかったのか、「ソロがしたかった風に言ってるけど、耳のためにインターバルを設けた方がいいということから」と。その言葉に、剛さんもかなりむっとしたんだと思う。というのもスタッフは剛さんに耳のためのインターバルではなく、光一さんがソロを入れたいと言っている伝えていたから。オーケストラ構成にしたのは、剛さんの耳を慮ったためで、ここでも譲歩してもらっている。さらに自分の耳のためにと言われると、「自分に聞いてくれればほかの方法も提案した」と思っても仕方がない。でも光一さんとしても音楽を視覚化することにこだわる場面も欲しかったのではないだろうか。パフォーマンスも楽しそうにしていたし。1/1の公演では、オーケストラの方にカルメンを弾いてもらい、それをふぉ~ゆ~の松崎さんに指揮をさせるという無茶ぶりも。光一さんソロがなかったらふぉ~ゆ~だってつく必要はなかったような気がするので、こんな場面も見られなかったような気がする。

そこで終わればよかったのに、その後の光一さんの「1人でテレビに出たとき俺がどれだけ大変・・・」と言ったところで、剛さんが間髪いれず「電話したやん。長ちゃんにも、そのほかの(松潤、相葉ちゃん)にも・・」と続き、二人の小競り合いは発展。光一さんは剛さんに感謝を求めたのではないかもしれないが、剛さん的には光一さんに感謝しているのにその気持ちがまったく届いていないように思えたのか、「俺がお前に感謝していなかったら、うんこ以下やん」という言葉に。しかし最後は「もうお前のプレゼント言うわ。うんこドリルセット(すごろく)やから」というオチで終わったところはよかったかもしれない。とはいえ、どちらもまだまだKinKi Kidsというプロジェクトに熱情を持っており、人間臭い一面もあるんだなということがわかった一幕だった。

ソロ後の後半戦で剛さんは、聞こえているはずの右耳を触ることが増えて、少し心配した(耳の穴に指を入れているシーンが何度もあったような)。これは一緒に入った妹も言っていたことだ。コンサートが終わってだいぶ経つので、回復しているといいなと思う。そしてモニター画面をずっと見つめながらといううつむき加減のパフォーマンスとなった。

ちょうどKinKi Kidsのコンサートに参加する少し前に、インクルーシブデザインに関する話についてまとめていたということもある。インクルーシブデザインとは高齢者や障がい者など、デザインプロセスから排除されていた人々を初期段階から巻き込んで一緒に考えていくデザインの方法である。除外対象者とは健康や肉体的なハンディキャップを抱えている人だけではない。子どもを抱っこして両手が塞がっている人なども含まれるという。除外とは何かそれを理解すことから始まり、次に共感から学ぶ事だという。目が見えない人や耳の聞こえない人と共感するには、単に目隠しをしたり耳栓をするということだけでは間違いだと言っていた。剛さんの難聴は左耳をふさいでみるだけでは、その除外の気持ちを共感できないということだ。新聞で語られた孤独だったという気持ちは、こういうところからきているのではないだろうかと思う。

なぜ、あんなにフォローされて孤独だというのか、というような声もあったが、あまり剛さんの耳のためにということが強調されると、本人にとってそれは阻害や除外につながることもある。だから、耳のインターバルのためと言うことであるなら、剛さんのいる場でもスタッフは忖度することなく、そう明言すべきだったと思う。阻害や除外は孤独を生む。KinKi Kidsコンサートは大きなプロジェクトなので、スタッフ共々本音で語り合うこと難しいことも多いのかもしれないが。

今年はどんな1年になるのか。まずは剛さんの聴力が少しでも改善されること。そして二人とも自分のやりたいことができる1年になれば良いなと思う。そして私たちファンはその表現を楽しみたいと思う。